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長崎 平和公園 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


平和記念公園

IMGP2817IMGP2779 長崎の最終日は、やっぱり平和記念公園でしょう!! 9日の朝7:30にホテルをチェックアウトして路面電車で長崎駅前から松山町まで行きました。
原爆落下中心地の北側の小高い丘にあり、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた平和記念公園に到着。入り口から、エスカレーターに乗り登っていくと水を求めた被爆者の霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて建設された円形の平和の泉が現れます。その先には平和祈念像が見えます。
この平和祈念像は長崎市民の平和への願いを象徴する像で、高さ9.7m、重さ30tで青銅製だそうです。この像を神の愛と仏の慈悲を象徴としていて、天を指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈るという想いを込めて造られたそうです。
平和の泉の横を抜けて平和祈念像に近づいていきます。振り返ると平和の泉が見えます。

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平和記念像をぐるりと一回り!!

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平和記念公園のガイドマップ

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爆心地被害区域

平和記念公園を後にして、爆心地公園へ向かう。IMGP2824IMGP2828IMGP2833IMGP2829 1945/8/9 AM11:02、長崎市松山町171番地の上空約500mで原爆が爆発し、その爆発点の温度は数百万度に達したといわれてます。瞬間的に半径約240mほどもある火球が形成され、爆心地の地表温度は、3000~4000℃に達したと言われています。

 

 

長崎原爆資料館

そして、長崎原爆資料館へ・・・
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国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で平和を祈って、長崎を後にしました。

その後は、吉野ヶ里遺跡へ・・・

長崎 出島と夕食 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


軍艦島ちゅんぽん発祥の店と大浦天主堂・グラバー園を見学して、帰りは長崎電気軌道の路面電車で出島で降りて、出島あたりを見学。まずは、出島ワーフを散策。そして、出島シアターを江戸町通りから見る。

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国指定史跡(出島和蘭商館跡)

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史跡の後ろにいるのは長崎の公式マスコットキャラクター 長崎さるく!!「さるく」とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁だそうです。
今日は、長崎の町を歩きすぎました。けっこう疲れた。

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出島は約200年間の鎖国の間、日本で唯一ヨーロッパに開かれていた貿易の窓口で、出島には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟ほどのの建物があったそうです。この出島和蘭商館跡では、そのうちの25棟を復元させるための事業が進められているそうです。IMGP2767IMGP2771

1820年代の模型「ミニ出島」等も展示されています。IMGP2772

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結構リアルの模型です。大砲なども飾られています。

 

 

 

DSC_0478夕食は長崎駅近くの炉談!!
軍艦島行って、大浦天主堂・グラバー園を見学して、そして出島を歩いて、歩き疲れたのでクーポンのビールを一気飲み!!

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ビールの次は日本酒 萬勝はねぎ搾り。「はねぎ搾り」とは伝統の日本酒の搾り方で、てこの原理を応用した圧搾による酒搾りの方法で、巨大な一本の木(約8メートル)を天井からつるし、その重みとてこの原理によって微妙な圧力をかけて丁寧に搾り上げる方法だそうです。
この撥ね木搾りという方法は、酒造り・酒蔵経営においては極めて効率の悪い方法で、機械で搾らないために完全に搾りきることが出来ないそうです。このような手間暇かかる手法はあまり行われていないそうです。しかし、「搾りきらない」ことによって、最後に残る嫌な味を搾り出さず、「純」な味わいの酒が生まれてくるとのことです。

DSC_0480 そして、くじら赤身

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こっちは刺身ちょい盛り!!

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六十餘洲 純米無ろ過原酒 レイホウ

もう、酔っ払い!!

大浦天主堂 グラバー園 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


9月8日、午前中に軍艦島クルーズにて、軍艦島を見学して、長崎港第三桟橋に戻ったのが12:30頃、そして、ちゅんぽん発祥の店 四海樓 に12:40頃入った。

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お昼時なので、非常に混んでいて、メニューを渡され、先に注文を決めた。もちろんちゃんぽん!!DSC_0476

IMGP2697 料理が届いたのが、入店から約45分後の13:30!!おなかが空いていたので、15分ほどで一気に食べIMGP2700てしまった。まぁ、ちゃんぽんだ。旨かったけど、博多久留米のとんこつラーメンのほうが好きだなぁ。
食べ終わってから、長崎観光!!グラバー通りを進むと上り坂!!
結構長い、食後の運動にはちょうどいいかな?

登りきると、大浦天主堂が階段お先に聳え立つ!!

 

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IMGP2706 この階段を登り始めると左側に大浦天主堂史跡という碑がおかれている。
その境内の先の大浦天主堂敷地内には記念碑文とにある信徒発見のレリーフが飾られている。

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IMGP2710 大浦天主堂は1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会で、殉教の地である西坂に向けて建てられているそうです。また、1865年におきた信徒発見で、1864年にたてられ翌年2月から公開が始まった大浦天主堂には、その一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げたそうです。この時のプティジャン神父はフランス、ローマに報告したそうです。
左の写真は大浦天主堂から階段方向を望んだ風景です。下の写真は、また別の場所から長崎の町を眺めた写真ですが、長崎が、坂の町であることがよくわかります。

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IMGP2721 そして、グラバー園に入る。右の写真の旧三菱第2ドックハウスでは、多くの人が二階に上がり長崎の町を眺めていた。この辺りは、高い建物に上るととても眺めがいい!!

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左写真の旧ウォーカー住宅は明治中期に建てられたと言われてます。
そして、右の写真は自由亭IMGP2728!!ここではお茶が飲めます!!いわゆる西洋料理は小のちだそうです。IMGP2730

 

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そして、左が旧グラバー亭!!少し上から見たアングルです。
IMGP2734 グラバー亭前の庭から長崎港に停泊していた大型客船 Sapphire Princesが見える。やはり、おおきいなぁ。
そのグラバー亭前の庭がこれ!!
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そして、グラバー園の石のアーチをくぐり退出!!
ちゅんぽん発祥の店 四海樓を出てから1時間半!!
結構長い時間、坂道を歩いた!!
そして、下の写真はおまけ!!売り物件があったIMGP2744(笑)歴史資料館だそうだ
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帰り道のグラバー通りに「三時のおやつは【文明堂】」があった。総本店だそうだ。

帰りは出島によるかな?

軍艦島 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


 さて、中ノ島を超えて長崎港から海上約17.5km離れた軍艦島にたどり着きました。

 もともと南北約320m、東西約120mの小さな瀬だった端島とその周囲の岩礁・砂州を、明治30年の終わりから昭和にかけて埋め立て工事を行い、南北に約480m、東西に約160mと約3倍の面積に拡張されました。島全体が護岸堤防で覆われ、島の中央部には埋め立て前の岩山が残っていますが、その他は住宅などの生活に関する施設と炭鉱関連の施設で埋め尽くされています。

まずは、軍艦島を海から一周!!
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 左の写真の右手に赤く突き出ているのは上陸用の波止場です。中央の写真の丘の上にそびえたっている3号棟は幹部用の内風呂がある職員社宅だったそうです。右側の写真の中央の建物は30号棟は旧鉱員社宅で日本最古のRC造アパートだそうです。こちらは上陸後に見学できます。

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 北側に回ると中央と右の写真のように左側に町立端島小中学校である70号棟、その隣に屋上に幼稚園があり、端島で最大のアパートである鉱員社宅の65号棟が見えます。その右の低い建物は高島鉱業所端島病院の69号棟だそうです。ここら辺は、上陸してからは見ることができません。

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 そして真後ろに回って69号棟の右側にやはり高島鉱業所端島病院の隔離病棟である68号棟が見えます。そして波止場と反対側に回ると、左から67,66,61,60号棟と見えてきます。これらはすべて鉱員住宅だったそうです。

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 そしてぐっと近づいていきます。廃墟です。真ん中の写真は鉱員住宅の51号棟。右側の写真は鉱員住宅の31号棟とその丘の上に灯台が見えます。この灯台は1998年に強化プラスチック製の2代目に建て替えられたものだそうです。

 この軍艦島の周りを、ぐるっと一周回ってたあと、もっとも軍艦らしく見えるという位置まで離れてくれます。

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 そして、再度、軍艦島に近づいていきます。これから、上陸です。上陸は一番上の左の写真、右手に赤く突き出ている上陸用の波止場からです。
IMGP2661  上陸すると第1見学広場があるのですが、我々の上陸船のすぐ後に大型の上陸船が接岸するということで、第2見学広場に向かいました。
 我々が乗船したのさるくII号の船長やその他の乗組員の方が丁寧に説明してくださいました。
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IMGP2658_stitch 手前のレンガ色の建物が、 第三竪坑で、閉鎖した後には資材倉庫として使われていたそうです。その左奥が総合事務所。反対側の右側、灯台左下には第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分である二坑口桟橋があります。このあたりの建物は風化が激しく、多くの建物が崩壊しています。
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IMGP2669左の写真は、第2見学広場から海側を見たものです。端島の中から海へは兵が張り巡らされています。

 

 

 第2見学広場から第3見学広場に移ります。その途中には手前に、第二竪抗のエレベーター機械室があった第2抗捲座跡。その奥には30号棟鉱員社宅が見える。そしてさらに進むと仕上工場がみえる。ここは炭鉱で必要な物の製作や修理を行なっていたそうで、さらに、2階には食堂や風呂があったそうです。

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IMGP2676_stitch第3見学広場の奥から見える30号棟。国内最古の鉄筋コンクリート造アパートだということです。
 この第3見学広場でみられる風景は風化崩落で日々情景が変わっているそうです。

 そして、最後に第1見学広場に戻ります。門状の構造物が続いて見えるのがベルトコンベアー跡です。そして、乗船桟橋に向かいます。

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 軍艦島は最盛期の1960年には5,267人の人が暮らしていて、その際の人口密度は83600人/km²で東京の9倍以上だったそうです。炭鉱施設や住宅、小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・スナックなど多くの施設があり、生活には困らなかったようです。
 このような、島も今は廃墟と化し、日々風化が進んでいます。見られるうちに訪れておくのがよいかもしれません。

そして、最後に軍艦島上陸記念証明書を頂きました。下船です。

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 さて、昼飯でも食べに行くか!!

軍艦島までの海路 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


IMGP2523 9月8日には軍艦島(端島)に渡ってきました。友人達からは「廃墟見て、何が楽しい?」と言われていましたが・・・ホテルで前の晩に買ったサンドイッチで朝食をとり、五島町から長崎電気軌道の路面電車築町まで行き、料金を払って、そこで運転手IMGP2525さんから乗り継ぎ切符をもらって乗り換え、大浦海岸通りで降りる。
 ここは、長崎港。ここから、昨夜、登った稲佐山が見える。写真の鉄塔の立っている山だ!昨夜は小雨降りで、夜景を見るのには残念だったが、今日は快晴だ!!

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 そして、港の先にはヴィーナスウィング長崎女神大橋が見える。この橋は、入り江になっている長崎の両端を結ぶ形で作られている橋長1289mのつり橋だ。長崎港に入港する大型船が通るのを考慮して桁下高を海面上IMGP252865mもとられている。したがって、写真のような大型船も楽々通ることができる。
 この写真の船は2004年(2012年改造)に三菱重工長崎造船所で製造された大型客船 Sapphire Princesだ。英国船籍の船で、全長290m×全幅37.5m×115,875トン、乗客定員2,678人、乗組員数1,100人、巡航速度22ノッ(41km/h)で航行できる。 こういう船に一度は乗ってみたいものだ。で、私が軍艦島へ渡る船は?
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これだ。さるくII号。こちらは、全長23.9m×全幅4.8m、乗客定員120人と長さ幅ともSapphire Princesの約1/10だ!!船内はこんな感じで、いざ出航!!
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 出航してすぐ、右手に長崎造船所が見える。
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 長崎港から見えたヴィーナスウィング長崎女神大橋が近づいてくる。入り江から出るためにスピード上げる。結構水しぶきがすごい!!
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IMGP2572 女神大橋を潜るとそのふもと右手に神崎神社が見える。こうざきじんじゃと読むそうで、弥生時代からあるそうです。そして、金貸稲荷とも呼ばれており、商売繁盛を願って商人の参拝が絶えない商売繁盛・金運のご利益があるパワースポットとなんだそうです。
 

IMGP2578 さらに、沖へ進むと、やはり右手に岬のマリア像が見える。最初は、ザビエルが渡来して400年を記念して、1948(昭和23)年に、1.7mの聖母像が建てられたそうです。その後、1984(昭和59)年に現在の4.7mの聖母像に建てられた2代目とのこと。長崎港の入口で岩の上から航海の安全を見守っています。私の軍艦島への航海も見守ってくれたかな?
IMGP2582 そして、さらに進むと岬のマリア像のその奥に神ノ島教会が見えます。神ノ島は今では埋め立てで、九州本土とつながっていますが、昔は、文字通り舟でしか渡れない長さ約1キロほどの小さな島だったそうです。キリスト教布教の中心だった長崎には多くのキリシタンが存在していましたが、1614年に徳川幕府の禁教令で弾圧を受け、舟でしか渡れないこの神ノ島に隠れ、潜伏しながらキリスト教の信仰を守ったのだそうです。明治になって仮聖堂が置かれ、神ノ島に赴任してきた6代目のデュラン神父が私財を投じて、信徒の協力のもと1897年(明治30)に完成させた教会IMGP2585堂で、長崎では4番目に古い煉瓦造りの聖堂だそうです。
 さて、外海に出るとさるくII号はさらにスピードアップして軍艦島へ向かいます。スピードが速く、しぶきも多いですが、途中、沖ノ島・伊王島が見えます。伊王島と沖ノ島は数10mしか離れていず、2011年に長崎本土と結ぶ伊王島大橋が開通しました。ここ伊王島にはカトリック教徒が多いそうです。この伊王島を抜けてさらに進むと高島が見えます。IMGP2589IMGP2596 この高島は、端島とともに炭鉱で栄えた町だそうです。現在の高島は写真のように右にある飛島と橋でつながれ、美しい海を活かし、飛島磯釣り公園やシュノーケリングが体験できる人工海水浴場、海水温浴施設を備えた高島いやしの湯などを整備しているそうです。
 さらに進むと中ノ島が見えます。ここにも炭鉱が建設されていましたが、数年で閉山となって軍艦島の住民の公園や火葬場・墓地として使用されていたそうです。そして、その先に見えました。軍艦島が・・・

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