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久しぶりの鹿島神宮


 10年くらい?いやもっと前かな?鹿島神宮をお参りしたのは・・・
木曜(2016年7月14日)から、長男が帰省しているので、15~16日と潮来に小旅行してきました。

IMGP2087IMGP2090初日は水戸から鹿島神宮に行ってきた。駐車場にFit3を停める。
 売店の左を通り抜けて、大鳥居に出る。チョコと写っているのは妻(笑い)。以前は御影石の鳥居だったのだが、2011年3月の東日本大震災により倒壊したので、境内に自生する杉の巨木を用いて同じ寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されたそうだ。ということは、できて1か月余りかな? 大鳥居をくぐり抜け先へ進むと桜門が現れる。この桜門は日本三大桜門だそうだ。重要文化財で、1634年に水戸光圀いわゆる水戸黄門の父に当たる初代水戸徳川藩主の頼房卿により奉納されたとのこと。IMGP2108IMGP2107  桜門を抜けると右手に本殿が見える。この本殿は1619年に2代将軍の徳川秀忠公が寄進したもので、重要文化財。本殿で参拝して先に進むと左の案内図と境内の案内板が現れる。この案内板を横目に境内を先に進む。奥参道は大木の杉の木があり木陰はかなり涼しい。天気があまり良くないが、天気の良い時でも結構涼しいのではないだろうか?

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 そして、奥参道内左手には鹿園がある。上の「神鹿について」に書かれているが、「藤原氏が767年に鹿島神宮の氏神の御分霊を奈良にお遷しして春日大社を創建する際に神鹿の背に乗せて奈良まで運んだそうです」奈良の鹿と鹿島神宮の鹿にはこのようないわれがあったようです。
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 この鹿園を抜けると奥宮がある。この奥宮は1605年に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に本宮として奉納したもので、その14年後に新たな社殿を建てるにあたって遷してきたものだそうです。ちなみに、写真に写りこんでいるのはやはり妻です。いつも私より前にいる(笑)。奥宮の左側を抜けて、十字路にでる。すると上の医師の像が左手に見えるが、そのまままっすぐ進むと要石が現れる。

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 要石は地中深くまで埋まっていて、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられていて、鹿島では地震による被害が少ないそうだ。ただ、残念ながら上にも書いたように東日本大震災では、大鳥居が倒壊してしまったが・・・この要石にはいくつかの伝説があって、その一つには、水戸黄門(徳川光圀公)がどこまで深く埋まっているか確認するために7日7晩にわたって掘らせたが、結局、怪我人が続出し諦めたと言われている。なんか、見ると風雨等で浸食されていて、沖ノ鳥島状態だった。
 そして、要石を後ろに奥宮まで戻り、さらに、奥宮を後ろに階段を下りていくと御手洗が現れる。

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 1日に40万リットル以上の湧水があり、昔は、こちらが、参道の起点だったらしい。散策には結構時間がかかるが、久々に森林の中に身を投じた気がした。
  そして、鹿島神宮を後にして道の駅 いたこへ・・・