4月20日は妻の誕生日!!
私からは何もプレゼントをしなかったが、長男は毎年プレゼントを送ってくる。去年は紅茶、その前は花かな?今年はマグカップ!!
いつものことながら、気が利く長男!!
 震災と原子力災害の被害を受けた富岡町にも花々が咲いてきています。左の写真は単身赴任生活をしているアパートの前の桜の木です。4月初旬には夜の森のソメイヨシノが見ごろになっているようです。残念ながら、私は身に入っていませんが・・・
このように花々が咲き始めると復興を開始した富岡町も町民も戻りつつあるようです。4月12日~13日の間に撮影した富岡町の花々の写真を載せていきます。
富岡第一小学校と第一中学校の間には花壇があり、そこには水仙が咲いていました。小中学校はともに再開していませんが、町民のどなたかが手入れをしていたのでしょう。
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また、さくらの木も植えられていて、きれいな桜が咲いていました。
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この小中学校も早く再開されればよいですね。学校が再開されれば本当の復興の始まりでしょう。
そして、陸前浜街道と呼ばれる国道6号を渡ると双葉警察署があります。ここにもきれいな桜が・・・
そして、警察署を超え、富岡川のほうへ向かうと橋が架かっています。この橋を渡ります。
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この川を超えて富岡町役場のほうへ坂を上っていくと、椿が咲いていました。
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 さて、昨日は震災の足跡としてつづりましたが、今日は復興の足跡です。これからは、徐々に復興していくことでしょう。ちなみに、左の写真は私が住んでいる単身者用アパートです。写真の一回が私の部屋、右に写っている車はマイ愛車Graceです。
開店してはいないようですが、準備のために人が来ているようです。震災の足跡でもつづりましたが、東
京電力パワーグリッドは、既に営業を始めています。そして、富岡町役場も・・・
下の写真の富岡町復興拠点と書かれている場所は東京電力エネルギー館です。今は、廃炉に向けた作業が進む福島第1原発を視察に訪れる人の受け入れ拠点となっています。また、郵便局も稼働しています。そしてその下の大きな写真ンが、さくらモールとみおか!!富岡町の避難解除より3か月ほど前からホームセンターのダイユーエイトが開店し、4月からはドラッグストアのツルハとスーパーのヨークベニマルが開店しました。ベニマルのおかげで、一通りの食材は買えるようになっています。ただ、夜は19時まで、土日は休みのため、私が普段から食材を買うことはなかなかできないので、水戸に帰宅時に食材を買って富岡町に持ち込んでいます。昼時だけ弁当屋やフードコートが開店し、多くの人が食事をとっています。郵便局も稼働しています。
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上の写真はさくらモールとみおかの近くに建設された富岡復興住宅!!各地に避難した方々が戻って来た際の生活の拠点になる住宅が建設されています。広くはないですが、戸建てなので少人数ならば、十分生活はできそうです。そして、右の写真は被災した住宅の横に建てられた新築の住宅です。復興が着々と進んでいることが判ります。
本数は少ないですが 巡回バスも走り出しています。ただ震災前に学校に掲げられた富岡町民憲章が少し悲しいです。これからの富岡町の復興のためなるでしょう。![]()
富岡町民憲章
一.花と緑のあふれる町を作りましょう。
一.子供をみつめ、伸びゆく力を育てましょう。
一.進んで学び、希望に満ちた町をつくりましょう。
一.楽しく働き、活力のある町をつくりましょう。
一.互いに思いやり、うるおいのある町をつくりましょう。
一.きまりを守り、住みよい町をつくりましょう。
良い言葉です。富岡町が無事復興を遂げますように!!
4月11日から住み始めて、徒歩で2kmあまりを通退勤しています。その際にPentax KPを持ち歩いて、富岡町の様子を撮影しています。この二日間で気が付いた3.11 東日本大震災の足跡の写真をまとめてみました。![]()
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上の写真をご存知でしょうか?ニュースなどで見たことのある人も老いと思います。フレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ (Flexible Containers))と言われるもので、丈夫な化学繊維で織られたシートとベルトからできていて、通常時は穀物や飼料、土砂などの粉状物質の梱包・輸送に用いられてきたものでした。これらが、福島及びその周辺地域では、放射性物質によって汚染された草や土、その他のものを除染のための袋として用いられています。私が、単身赴任している富岡町の中にも、ところどころに少量ですが、写真用に保管されています。この写真はアパートのすぐ近く。震災の足跡というよりも原発事故の足跡、というかまだ現在進行形です。
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 また、アパートの近くには富岡第一小・中学校と調律幼稚園があります。そのすぐ近くに右の写真様な避難場所の看板が立っています。
原子力災害時避難・集合場所と書かれています。3.11の時に使用されたのでしょうか?それともそれ以降に建てられた看板でしょうか?
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また、右のような看板で、この富岡町では除染作業が現在進行形であることが判ります。さらに、4月1日に避難解除になっても徐々に人が増え始めているようですが、多くの人が戻ってきていない現状、左の写真のように防犯カメラ作動中と橋の欄干に幕が掲げられています。そして、パトカーがいたるところを巡回し、警察官も巡視しています。
原発事故の被害のほかに、実際に津波や地震の足跡も見られます。
シャッタの壊れた店舗や壁のはがれた家。
 最後に、富岡町にある東京電力パワーグリッド!いわゆる送電用・配電用の設備を維持・運用して、小売電気事業者に、送配電のサービスを提供する会社です。この会社は2015年(平成27年)4月1日に震災後の東京電力の再編に伴い設立された会社です。
ここはすでに営業を始めています。震災に直接関係ありませんが、東電ということで掲載しておきます。
今後も、富岡の町の写真を撮っていきます。
去年から打診があって、12月には、もう決めていたのだけれも、4月から単身赴任生活です。あとで、遡って書きますが、4月の第一週はホテル住まいでの出勤。今日、4月11日から単身赴任生活!!
えっ?どこ?って、福島県双葉郡富岡町・・・
そう!4月1日で避難指示区域を解除されたあの富岡町!!
しらない?  3.11の東日本大震災の津波で全電源喪失によるメルトダウンが起こった東京電力福島第一原子力
発電所から直線距離で約10㎞!!
そこに、新しく研究所が設立されて、そこ勤務となった。
まぁ、その辺のことは追々書くとして。今日から富岡町生活。
住むアパートは築7年ほど。震災前に新築で建てられて、震災のために多くは
活用されなかったアパート!!
で引っ越しの荷物は右の写真の通り、この他に近所の大学生の息子がアパート暮らしから自宅暮らしになったとのことで、いらなくなった洗濯機をもらった。大型トラックに積み込むと写真のように申し訳程度(笑)
引越料金は7万円ほど・・・
で、下の写真が新居。
左から居間、台所、洗面所、洗面所の左にトイレ、右に風呂、居間と台所はドアで仕切られている。台所の写真で見えるドアを開けると玄関ドアがさらにある。そこの玄関わきに洗濯機を置く場所がある。
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4月11日は出勤して、帰宅が19時!!食事は日清医療食品の食卓便!!
冷凍食品で、量は少ない!!これにあと一品つけてちょうどいいくらいかなぁ。