震災の足跡 2017/04/12-13(富岡町)


4月11日から住み始めて、徒歩で2kmあまりを通退勤しています。その際にPentax KPを持ち歩いて、富岡町の様子を撮影しています。この二日間で気が付いた3.11 東日本大震災の足跡の写真をまとめてみました。IMGP0870IMGP0898
上の写真をご存知でしょうか?ニュースなどで見たことのある人も老いと思います。フレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ (Flexible Containers))と言われるもので、丈夫な化学繊維で織られたシートとベルトからできていて、通常時は穀物や飼料、土砂などの粉状物質の梱包・輸送に用いられてきたものでした。これらが、福島及びその周辺地域では、放射性物質によって汚染された草や土、その他のものを除染のための袋として用いられています。私が、単身赴任している富岡町の中にも、ところどころに少量ですが、写真用に保管されています。この写真はアパートのすぐ近く。震災の足跡というよりも原発事故の足跡、というかまだ現在進行形です。
IMGP0940IMGP0872 また、アパートの近くには富岡第一小・中学校と調律幼稚園があります。そのすぐ近くに右の写真様な避難場所の看板が立っています。
原子力災害時避難・集合場所と書かれています。3.11の時に使用されたのでしょうか?それともそれ以降に建てられた看板でしょうか?
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また、右のような看板で、この富岡町では除染作業が現在進行形であることが判ります。さらに、4月1日に避難解除になっても徐々に人が増え始めているようですが、多くの人が戻ってきていない現状、左の写真のように防犯カメラ作動中と橋の欄干に幕が掲げられています。そして、パトカーがいたるところを巡回し、警察官も巡視しています。
原発事故の被害のほかに、実際に津波や地震の足跡も見られます。

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シャッタの壊れた店舗や壁のはがれた家。

IMGP0874 最後に、富岡町にある東京電力パワーグリッド!いわゆる送電用・配電用の設備を維持・運用して、小売電気事業者に、送配電のサービスを提供する会社です。この会社は2015年(平成27年)4月1日に震災後の東京電力の再編に伴い設立された会社です。
ここはすでに営業を始めています。震災に直接関係ありませんが、東電ということで掲載しておきます。

今後も、富岡の町の写真を撮っていきます。