「軍艦島」タグアーカイブ

軍艦島 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


 さて、中ノ島を超えて長崎港から海上約17.5km離れた軍艦島にたどり着きました。

 もともと南北約320m、東西約120mの小さな瀬だった端島とその周囲の岩礁・砂州を、明治30年の終わりから昭和にかけて埋め立て工事を行い、南北に約480m、東西に約160mと約3倍の面積に拡張されました。島全体が護岸堤防で覆われ、島の中央部には埋め立て前の岩山が残っていますが、その他は住宅などの生活に関する施設と炭鉱関連の施設で埋め尽くされています。

まずは、軍艦島を海から一周!!
IMGP2612IMGP2615IMGP2616
 左の写真の右手に赤く突き出ているのは上陸用の波止場です。中央の写真の丘の上にそびえたっている3号棟は幹部用の内風呂がある職員社宅だったそうです。右側の写真の中央の建物は30号棟は旧鉱員社宅で日本最古のRC造アパートだそうです。こちらは上陸後に見学できます。

IMGP2617IMGP2620IMGP2621
 北側に回ると中央と右の写真のように左側に町立端島小中学校である70号棟、その隣に屋上に幼稚園があり、端島で最大のアパートである鉱員社宅の65号棟が見えます。その右の低い建物は高島鉱業所端島病院の69号棟だそうです。ここら辺は、上陸してからは見ることができません。

IMGP2626IMGP2628IMGP2632
 そして真後ろに回って69号棟の右側にやはり高島鉱業所端島病院の隔離病棟である68号棟が見えます。そして波止場と反対側に回ると、左から67,66,61,60号棟と見えてきます。これらはすべて鉱員住宅だったそうです。

IMGP2634IMGP2635IMGP2636
 そしてぐっと近づいていきます。廃墟です。真ん中の写真は鉱員住宅の51号棟。右側の写真は鉱員住宅の31号棟とその丘の上に灯台が見えます。この灯台は1998年に強化プラスチック製の2代目に建て替えられたものだそうです。

 この軍艦島の周りを、ぐるっと一周回ってたあと、もっとも軍艦らしく見えるという位置まで離れてくれます。

IMGP2650

 そして、再度、軍艦島に近づいていきます。これから、上陸です。上陸は一番上の左の写真、右手に赤く突き出ている上陸用の波止場からです。
IMGP2661  上陸すると第1見学広場があるのですが、我々の上陸船のすぐ後に大型の上陸船が接岸するということで、第2見学広場に向かいました。
 我々が乗船したのさるくII号の船長やその他の乗組員の方が丁寧に説明してくださいました。
IMGP2655_stitch
IMGP2658_stitch 手前のレンガ色の建物が、 第三竪坑で、閉鎖した後には資材倉庫として使われていたそうです。その左奥が総合事務所。反対側の右側、灯台左下には第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分である二坑口桟橋があります。このあたりの建物は風化が激しく、多くの建物が崩壊しています。
IMGP2663IMGP2657IMGP2667IMGP2666

 

 

 

IMGP2669左の写真は、第2見学広場から海側を見たものです。端島の中から海へは兵が張り巡らされています。

 

 

 第2見学広場から第3見学広場に移ります。その途中には手前に、第二竪抗のエレベーター機械室があった第2抗捲座跡。その奥には30号棟鉱員社宅が見える。そしてさらに進むと仕上工場がみえる。ここは炭鉱で必要な物の製作や修理を行なっていたそうで、さらに、2階には食堂や風呂があったそうです。

IMGP2674IMGP2672IMGP2675

IMGP2676_stitch第3見学広場の奥から見える30号棟。国内最古の鉄筋コンクリート造アパートだということです。
 この第3見学広場でみられる風景は風化崩落で日々情景が変わっているそうです。

 そして、最後に第1見学広場に戻ります。門状の構造物が続いて見えるのがベルトコンベアー跡です。そして、乗船桟橋に向かいます。

IMGP2687IMGP2692IMGP2693

 軍艦島は最盛期の1960年には5,267人の人が暮らしていて、その際の人口密度は83600人/km²で東京の9倍以上だったそうです。炭鉱施設や住宅、小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・スナックなど多くの施設があり、生活には困らなかったようです。
 このような、島も今は廃墟と化し、日々風化が進んでいます。見られるうちに訪れておくのがよいかもしれません。

そして、最後に軍艦島上陸記念証明書を頂きました。下船です。

2016年10月15日16時46分37秒_ページ_22016年10月15日16時46分37秒_ページ_1

 さて、昼飯でも食べに行くか!!

軍艦島までの海路 編 九州旅行 2016年9月6日~10日


IMGP2523 9月8日には軍艦島(端島)に渡ってきました。友人達からは「廃墟見て、何が楽しい?」と言われていましたが・・・ホテルで前の晩に買ったサンドイッチで朝食をとり、五島町から長崎電気軌道の路面電車築町まで行き、料金を払って、そこで運転手IMGP2525さんから乗り継ぎ切符をもらって乗り換え、大浦海岸通りで降りる。
 ここは、長崎港。ここから、昨夜、登った稲佐山が見える。写真の鉄塔の立っている山だ!昨夜は小雨降りで、夜景を見るのには残念だったが、今日は快晴だ!!

IMGP2531IMGP2533
 そして、港の先にはヴィーナスウィング長崎女神大橋が見える。この橋は、入り江になっている長崎の両端を結ぶ形で作られている橋長1289mのつり橋だ。長崎港に入港する大型船が通るのを考慮して桁下高を海面上IMGP252865mもとられている。したがって、写真のような大型船も楽々通ることができる。
 この写真の船は2004年(2012年改造)に三菱重工長崎造船所で製造された大型客船 Sapphire Princesだ。英国船籍の船で、全長290m×全幅37.5m×115,875トン、乗客定員2,678人、乗組員数1,100人、巡航速度22ノッ(41km/h)で航行できる。 こういう船に一度は乗ってみたいものだ。で、私が軍艦島へ渡る船は?
IMGP2534IMGP2537

これだ。さるくII号。こちらは、全長23.9m×全幅4.8m、乗客定員120人と長さ幅ともSapphire Princesの約1/10だ!!船内はこんな感じで、いざ出航!!
IMGP2541IMGP2542IMGP2540
 出航してすぐ、右手に長崎造船所が見える。
IMGP2547IMGP2551IMGP2554
 長崎港から見えたヴィーナスウィング長崎女神大橋が近づいてくる。入り江から出るためにスピード上げる。結構水しぶきがすごい!!
IMGP2561IMGP2559IMGP2570
IMGP2572 女神大橋を潜るとそのふもと右手に神崎神社が見える。こうざきじんじゃと読むそうで、弥生時代からあるそうです。そして、金貸稲荷とも呼ばれており、商売繁盛を願って商人の参拝が絶えない商売繁盛・金運のご利益があるパワースポットとなんだそうです。
 

IMGP2578 さらに、沖へ進むと、やはり右手に岬のマリア像が見える。最初は、ザビエルが渡来して400年を記念して、1948(昭和23)年に、1.7mの聖母像が建てられたそうです。その後、1984(昭和59)年に現在の4.7mの聖母像に建てられた2代目とのこと。長崎港の入口で岩の上から航海の安全を見守っています。私の軍艦島への航海も見守ってくれたかな?
IMGP2582 そして、さらに進むと岬のマリア像のその奥に神ノ島教会が見えます。神ノ島は今では埋め立てで、九州本土とつながっていますが、昔は、文字通り舟でしか渡れない長さ約1キロほどの小さな島だったそうです。キリスト教布教の中心だった長崎には多くのキリシタンが存在していましたが、1614年に徳川幕府の禁教令で弾圧を受け、舟でしか渡れないこの神ノ島に隠れ、潜伏しながらキリスト教の信仰を守ったのだそうです。明治になって仮聖堂が置かれ、神ノ島に赴任してきた6代目のデュラン神父が私財を投じて、信徒の協力のもと1897年(明治30)に完成させた教会IMGP2585堂で、長崎では4番目に古い煉瓦造りの聖堂だそうです。
 さて、外海に出るとさるくII号はさらにスピードアップして軍艦島へ向かいます。スピードが速く、しぶきも多いですが、途中、沖ノ島・伊王島が見えます。伊王島と沖ノ島は数10mしか離れていず、2011年に長崎本土と結ぶ伊王島大橋が開通しました。ここ伊王島にはカトリック教徒が多いそうです。この伊王島を抜けてさらに進むと高島が見えます。IMGP2589IMGP2596 この高島は、端島とともに炭鉱で栄えた町だそうです。現在の高島は写真のように右にある飛島と橋でつながれ、美しい海を活かし、飛島磯釣り公園やシュノーケリングが体験できる人工海水浴場、海水温浴施設を備えた高島いやしの湯などを整備しているそうです。
 さらに進むと中ノ島が見えます。ここにも炭鉱が建設されていましたが、数年で閉山となって軍艦島の住民の公園や火葬場・墓地として使用されていたそうです。そして、その先に見えました。軍艦島が・・・

IMGP2598